東海道を歩く【金谷宿-日坂宿-掛川宿】

11:30金谷宿を出発。
一応、東海道の本を図書館で借りてきたのだが、果たして無事に行けるか不安。


【金谷宿→日坂宿】
金谷坂石畳は2週間前にも行き、その時は石畳茶屋が閉店していたが、今日は営業していた。でも、今回は寄らず、先を急ぐことにした。500メートルほど続く石畳はかなり歩きづらく、自分の体力を奪っていく。日陰が多く、ハエらしき虫が大量にいて、自分の周りをブンブン回っていた。
金谷坂石畳を上りきった後、一般道に入る。暫くなだらかな道。上着はジャージだったが、暑くてTシャツ一枚になる。しばらくすると、諏訪原城跡の案内看板を発見。でも、これもパスして先を急ぐことにした。
菊川坂石畳を下る。金谷坂と違って道幅が狭い。石畳は下りも結構歩きづらく、転びそうになった。体力も奪う。石畳を下りきり、菊川の里に入る。
本の地図があまり詳しく書いてなかったため、この先どう行けばわからなくなる。
とりあえず菊川町への案内看板があったので、その方向へ進む。でも途中でおかしいことに気づく。この先、小夜の中山峠が待っているはずなのに、この道はずっと平坦な道。とりあえず、菊川坂石畳の上り口にあった案内板を見るために引き返す。やっぱり間違えていた。
東海道に戻る。菊川の里(菊川宿)は間の宿と呼ばれていたようである。菊川の里を抜け、箭置坂に入る。
いよいよ小夜の中山へ。箭置坂はとにかくきつかった。金谷坂・菊川坂の石畳で体力を奪われていたため、余計に。民家もちらほら立ち並んでいる。こういうところにも人が住んでいるんだなぁ〜と思いながらひたすら歩く・写真を撮る。
坂を上りきって暫く歩くと、右手に『久延寺』が見えてくる。ここには、夜泣き石の一つがあった。暫く境内を見学して、東海道へ戻る。ここにきて観光客らしき人を発見。なんとなく、嬉しかった。久延寺の先に有名な扇屋があったが、営業していなかった。土日限定営業なのか?少しへこむ。向かいに小夜の中山公園があったが、時間がなかったのでパスした。
ここから下り坂なのだが、下るにつれて急な坂になっていった。夜泣き石跡を見つける。ここには『夜泣き石伝説』が紹介さていた。夜泣き石跡からすぐのところに広重絵碑があった。絵と実際はやや違っていて、絵では凄く急な坂だが、実際は絵ほど急ではなかった。
暫くすると、物凄い急な坂に入る。歩いて下るのはきつかったので、遂走ってしまった。
今日一番の急な坂。この急な坂を下ると、日坂宿が見えてきた。日坂バイパスの高架も見えてきた。『旧東海道を歩いてきた自分』が見る『日坂バイパス・車』。言葉では言い表せない何かを感じた。江戸時代から現代に戻った感じ? 少し違うな。言葉では言い表せない。
いよいよ日坂宿へ入る。


↑菊川坂石畳

↑小夜の中山

【日坂宿→掛川宿】
11:30に金谷宿を出発してから約3時間。14:20頃、日坂宿に到着。
日坂の扇屋本陣跡の敷地では、小学生が遊んでいた。のどかな風景だった。
日坂宿の町並みと歴史を感じながら歩き、日坂宿を後にする。
国道に合流し、歩道をひたすら歩く、歩く、歩く、、、、、
暫くすると『道の駅・掛川』の看板を発見。遅い昼飯をとるため、東海道を外れ、道の駅へ向かう。道の駅は割りと新しかった。食事をとり、少し休憩して、東海道へ戻る。
平坦な道が続くので、金谷宿-日坂宿よりも歩きやすかった。
伊達方地区、葛川地区を通る。太陽も沈みはじめてきた。
ひたすら歩く、歩く。疲れがかなりたまってきてた。足がかなり痛い。
掛川城が見えてきた。自然と歩く速さが増す。
遂に掛川宿に入る。時刻は17時過ぎ。
掛川城のライトアップを撮りまくった。デジカメの液晶画面を見る限り、なんとか手ブレも最小限に抑えられた感じ。時刻は17時を過ぎていたから、当然掛川城は閉まっていた。
一応、天守閣の門の前までは行けたのだが、門が閉まっている。

↑日坂宿 本陣跡


掛川城
金谷宿から掛川宿まで全長約13.5km。自分でもよく歩いたなぁと思う。結構、達成感があった。歩いていて色々感じたこともあった。もう少し、下調べをしてから行けばよかった。
NHKの街道てくてく旅〜東海道五十三次完全踏破〜を見てから、東海道について興味をもち始めた。東海道なんて歳をとって老後とかに歩くもので、まだ若いから早いと思われがちだが、自分はそうは思わない。東海道を歩く事は、自分を見つめ直したり現代生活を見つめ直すいいきっかけになる。運良く、自分は静岡県に住んでいる。5年以内をめどに、静岡県の東海道を制覇してみたいと考えている。
次は掛川宿から見附宿まで歩きたいと思っている。いつになるかはまだわからないけど、、、